群馬県伊香保温泉 岸権旅館 公式ホームページ
創業天正四年の老舗、岸権旅館の歴史について。

岸権物語

岸権物語

創業の頃の話1創業の頃の話2家紋の由来伊香保の管轄沿革絵画・写真資料

spacer

創業の頃のはなし

創業の頃のはなし

現在伊香保では・・・

旅館が59軒ありますが、室町時代から安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成まですなわち16世紀中頃から21世紀までに450年以上続く家が3家残っており、今も千明三右衛門氏経営の「千明仁泉亭」 、木暮武太夫氏同「ホテル木暮」それと当家岸権三郎経営の「岸権旅館」の屋号で引き継がれております。

それではここで・・・

少し岸家の歴史を述べさせていただきます。 当家の先祖は岸弾正少弼藤原安忠(室町時代の人 1520?~1574) で信州・深志(今の松本)の豪族であったといわれております。

おそらく戦国時代の戦乱の中、信州を追われ、伊香保に落ち延びてきたと思われ何らかの形で伊香保神社に関係し、その子岸筑前守藤原安兼(室町時代後期~安土桃山~江戸時代初期の人 1550?~1629)は、同神社の神官であったことが伝えられ、父弾正の菩提寺医王寺(伊香保神社のすぐ下で現存)を天正2年(1574年)8月開基するなど同神社を通じて伊香保で勢力をふるい岸家「中興之祖」といわれております。

おそらくこの頃の・・・

伊香保は現在の石段街ではなく「湯元の地」(今の橋本ホテルのある源泉地付近)において千年来の土着の千明氏が古くから温泉場を支配し、民家数戸といった湯小屋時代の湯治場であったと思われるので、規模もそう大きくなかったはずです。

湯元の地にあった「伊香保の湯」から近世の伊香保温泉街への移転を直接証する資料はないものの、享和2年(1802年)刊の「仁泉亭記」によると伊香保の温泉場を古くから支配してきた千明氏と、神官職の家柄であった岸家も伊香保に本貫地を持ちながら、永禄6年(1563年)近郊の箕輪城を攻略した武田家に属し、また付近の大地主であった大島氏、木暮氏、後閑氏、望月氏、島田氏も家臣となり、天正4年(1576年)上記七氏に石段街付近の土地及び近隣の農耕地、山林を分け与えられ、また湯元より引湯し伊香保の湯の支配権を与えられ、温泉宿営業を開始したものと思われます。

従って当館の・・・

創業年度を天正4年としているわけです。 草津温泉が中世に湯本一族に与えられたのと違い、伊香保はある幾人かのものに集団で与えられたことが興味深いところです。

上へ戻る

創業の頃の話2

創業の頃のはなし2

「岸家中興之祖」・・・

岸筑前守藤原安兼(1550?~1629年)には長男六左衛門、次男又兵衛の二子があり、又兵衛が分家して岸権左衛門の祖となり現在の岸権旅館へと引き継れることになりました。

また安兼の弟が分家して岸又左衛門を興し、かくして岸家は筑前の没した寛永6年(1629年)までには、本末三家に分かれましたが三家の合計耕地面積は12町5反余で木暮氏(同じく本末三家)に次ぎ、温泉権(小間口権、温泉の件は別の項で、じっくり説明致しますので御期待下さい)は三家合計で2寸3分5厘と最も多く、木暮氏と並んで有力であり、温泉共同体成立の時点での当家の実力が大きかったことがうかがえます。

三家に分かれた以降は各々「きしろく」「きしごん」「きしまた」と呼ばれ、「大屋」となり、近世を通じて商業地主経営にあたり、村政の指導権を握りました。

三家中六左衛門は(明治時代中頃に廃業)は耕地面積、小間口権、屋敷面積から見て他よりとび抜けて多く、本家としての格を保ちました。権左衛門と又左衛門(明治時代初期に廃業)については、権左衛門の方がやや優位でありました。分家した岸 又兵衛には男子はなく沼田より養子を迎え、 次の代から小平次を名のります。

面白いことに・・・

岸権家は男子が継承することが少なく、特に明治以降現在まで4代の当主は、全て婿養子であり、現在の当主は岸又兵衛より数えて20代目となります。寛政年間(1790年頃)に至り、小平次は権左衛門と改名し、以降代々権左衛門を襲名したことから、なじみの浴客が「きしごん」と愛称したものらしく現在に至る訳であります。

ただ明治に入ったすぐの頃、一時武家風の名前が禁じられ権左衛門から権三郎に改名し、その後解禁されたにもかかわらず当時の当主が面倒くさがりだったのか、元に戻さず明治以降は権三郎を襲名しています。

ちなみに現在まで続いている他の二家は、千明三右衛門氏、木暮武太夫氏と創業の頃の名前を襲名しております。尚、襲名に際しては2~3度、前橋の簡易裁判所におもむき、改名の必要性を説明し許可を得ることが必要でした。

寛政といえば・・・

ちょうど高山彦九郎が全国を歩いて、尊皇思想を鼓吹した頃で、彦九郎は安永2年(1773年)伊香保へも来たそうであります。

今、岸権旅館の一角に祀られている毘沙門天の祠には、安永3年の記年があります。伝えによればこの祠は、岸小平次(初代権左衛門)が夢枕に立った毘沙門天のお告げを奉じて建立したもので、当時、数年間全国を襲った、いわゆる安永・天明の大風水害、浅間焼け、飢饉、疫病流行に伊香保が災厄をまぬがれたのは、そのご利益と信じられ、湯治客の病気平癒、息災祈願がこめられております。

上へ戻る

家紋の由来

家紋の由来

岸権の家紋は最初「菊」でしたが、明治の頃、皇室に遠慮し、菊の半分を水に流した「菊水」に改めました。館内の設備・備品にはこの家紋があしらわれています。

上へ戻る

spacer